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ぶれないマインドを確率する為のたった1つの考え方

 

さて、会社の退職日まで残り一ヶ月を切りました。

 

昨日は久しぶりにぽかぽかあったか日和だったので、幼馴染みと表参道周辺をお散歩しながら、自分達の強みについて話していました。

 

私達2人の共通点兼強みは、ぶれないこと(周りに左右されないこと)。2人ともとっても自由に生きています。

 

今日は、私がどのようにしてぶれないマインドを確立していったのか、お話していこうと思います。(以下、ですます口調なしでいきます)

真面目なギャル?

 

もちろん私も最初から周りの目を気にせず自分の意見をはっきり言えたわけではない。

少しずつ自分を出し始めたのは中学2年生頃だった。それまでの私は親の言う通りに真面目に勉強をし、成績上位を保つことが偉いと思っていた。

 

しかし、中学2年生の頃に友達が読んでいたギャル雑誌RANZUKIを知ると、元々派手好きだったこともあり、ギャルにハマっていった。

 

派手なメイク、明るい髪の色、派手なファッション、全てが私に衝撃を与え私を魅了した。

本格的にギャルメイクを研究するようになったのは、中3の受験が終わった頃だったが、中2の頃に親にも内緒で髪の毛を脱色してみたことがあった。

 

小学生の頃からずっとサッカーをやっていたので、外でサッカーをしているから髪の毛がやけたと嘘をついていたが、実は親にも先生にもバレバレだった。(当時は上手く嘘をつけたと思っていた)

 

私を真面目に育ててきたつもりだった親も、私をいつも成績の良い真面目な優等生だと思っていた学校の先生もガッカリした。

 

ガッカリされるのは嫌だったし、相変わらず根は真面目だったので、勉強だけはちゃんとしていた。

 

勉強はしていたが、やっぱりギャルになりたくて、同じ学年のギャルっぽい子や少し不良っぽい子達とつるむようになった。

 

そのうち授業に出なくなったり、早退して近くのゲームセンターへ遊びに行くようにもなった。

 

それでも成績はいつも上位だったので皆は羨ましがるようになった。でも実は、当時の私は相当勉強していた。

 

本当はギャルになりたいけど、親や先生に見捨てられるのが怖くて、友達がいなくなるのが怖くて、遊びに行って授業をさぼってしまった分だけ罪悪感に駆られ、家で一人猛烈に勉強をしていた。

 

その間、好奇心と衝動で耳たぶにピアス穴を3個くらい開けてしまったりもした。

 

中3になると、授業をサボることもなくなり、無事に女子サッカー部があって制服が可愛くてそこそこ偏差値の高い高校へ入ることが出来た。

 

先生や友達は私の努力を知らなかったので、第一志望の高校に前期で受かることが出来た私を天才だと思っていた。

 

受験が終わるとすぐにギャルメイクを研究し始めた。中学を卒業し春休みになると念願の金髪に変身、ギャルメイク・派手な服装をまとって渋谷や原宿に進出するようになった。

考え方の分岐点

 

 

高校の入学式の前には髪を黒染めしたのだが、染まりきっておらず、茶髪で出席(後から写真を見て気付く。)初日から目をつけられることになった。学年の間では完全なるヤンキーキャラが確立してしまった。

 

前期で合格し、余裕に浸っていた私は、春休みをギャルになる為に使い果たし全く勉強をしていなかった。高校のテストは思った以上に難しく、最初のテストではまさかの学年半分以下だった。

 

勉強に関して初めてこんなに悔しいと思った。それでも周りの頭のレベルの良さは予想を遥かに超えていた。

 

女子サッカー部と制服を理由に入学して来た私が、大学受験を目指して進学校に入ってきた子達に叶うはずがなかった。

 

そもそも第一志望校に入学出来たことで目標を達成してしまった私には、これ以上勉強する目的が分からなかった。

 

志望大学を提出しなさいと言われて適当に名のある大学を3つ書いて提出した後、真剣に志望校を考えようとしたが、無理だった。大学に行きたいと言う思いが全くなかったからだ。というよりか、大学でやりたいことが特になかったからだ。

 

周りの友達も「特に大学でやりたいことがある訳ではない」と言う子は沢山いた。

 

けれど、彼等と私の徹底的な違いは、彼等は「とりあえず良い大学へ入れば、一流企業に入れる」と言う思いで大学受験することを選んだのに対し、私は「やりたいことがないのに大学へ入る意味は無い」と思っていたことだった。

 

もちろん、良い大学へ入って一流企業に入りたいと言うのも彼らにとっては立派な目標だ。ただ私にはしっくりこなかっただけのこと。

 

高校では、勉強の出来ないただのギャルと言うポジションではあったが、幸い穏やかで優しい子達ばかりだった為いじめなどは一切なかった。これは頭の良い高校へ入ったことのメリットだったのかもしれない。

 

入学初日から目立っていた私に興味を持つ子は意外と多く、私自身明るくて友達を作るのが特技と言えるほど得意だったので、友達は沢山出来た。

 

でも本当のところは、ギャルだからと冷たい目で見られるのが怖くて、入学初日からそわそわしていた。

 

そんな心配は全くいらないほど皆普通に仲良くしてくれた。よく考えてみたら、中学だって皆仲良かったし友達は沢山いた。

 

周りと違くても皆案外受け入れてくれるもんなんだなと思った。

 

後から聞いた話だが、確かにギャルってだけで、最初の印象は怖かったらしい。でもやっぱり一緒に過ごしていくうちに見た目は関係ないと思ってくれていた。そんな友達に出会えて嬉しかったし、自分の自信にもなった。ギャルでも良いんだって。

 

それでも、高校生活は毎日の授業がプレッシャーだった。毎日予習をしないと授業についていけないほどで、入る高校を間違えた!と本気で思った。

 

高校からは科目も増えて、勉強も嫌いになった。予習をしていても答えが間違っていたら怒られるし、分からないところを正直に分からないと言っても怒られた。正直どうしたら良いのか分からなかった。

 

英会話教室に通っていた小学生の頃から好きだった英語だけは勉強をし続けていて、その頃から思っていた海外で働きたいと言う思いはずっとあった。

 

そしてカッコイイと言う理由でホテルマンに憧れていた私は、志望大学の代わりにホテル学校を探した。ちょうど小学生の頃に見ていたアニメ「ハイジ」の舞台である「スイス」への研修制度があるホテル学校を見つけた。

 

ハイジの影響でスイスに強く憧れを持っていた私は、すぐに体験入学を申し込んだ。実際に訪れてみると、そこの学生も卒業生も先生方も皆がいきいきと楽しそうにしていた。

 

一瞬でその学校が気に入った私は、イベントがある度に何度も何度も通った。そして、実際にスイス研修へ行ったことのある先輩から直接話を聞くことも出来た。

 

ホテル学校へ行く(スイスへ行く)と言う新たな目標が出来た私は、英語以外は、テストで赤点だけ取らない程度の勉強しかしなくなった代わりに、ホテルマンになるための勉強をし始めた。

 

高校の先生や親にはもちろんずっと反対されていた。親は未だに、無理矢理でも大学へ行かせとけば良かったと言ってくる。(正直なぜそう思うのか私には分からないし、無理矢理にでも行っていなかったと思う。)

 

ここで、なぜ私が先生や親の意見に飲み込まれず、周りの環境に流されなかったのかと言うと、答えはとってもシンプルだ。

 

目標がない状態でやりたくないことをやっていても全然楽しくなかったからだ。

 

さすがに高校までは出ていた方が良いと思っていたが、大学に行かなきゃいけないと思ったことはなかった。

 

ギャルだった頃も大人は反対して来たけど、友達はいなくならなかったのと同じで、高校時代も専門学校へ行くと決めたら、先生や親は反対してきたけど、友達はいなくならなかった。

 

ふざけ半分でホテル学校を馬鹿にしてくる子もいて、本気だった私は傷ついてはいたけど、先の見えない大学生活を想像するよりもスイスへ行く為に今出来る努力をする方が自分をワクワクさせた。

 

ギャルになりたかった中学時代は、周りの目を気にしてなかなかギャルになりきれず、もどかしかった。高校で本格的にギャルメイクをするようになったらメイクが楽しくてしょうがなかった。自然と美意識も高まって、自分なりにオシャレすることを楽しんだ。

 

周りからも普通に受け入れてもらえることが分かると自分らしく生きていくことが怖くなくなった。

実は真面目に努力もしていた

 

スイス研修生に選ばれるまでも相当な努力をした。海外研修の担当は大嫌いな担任だった。生きてて初めてこんなにも人を嫌いになった。というか、とても人間とは思えなかった。

 

クラスの全員が担任を嫌いだった。本当は出来れば関わりたくなかったけれど、スイス研修生に選ばれる為に少しでも接点を持つようにした。イベントのお手伝いをしたり、授業中も積極的に発言するようにした。

 

それはとても苦しいことだった。近付けば近付くほど悪魔のような性格を目の当たりにし、ひどい言葉を浴びた。世の中にはこんな人間もいるんだと驚いた。

 

担任の顔を見るのも嫌だったけれど、ひたすら耐えた。中学も高校もサボり癖があった私が、無遅刻無欠席で皆勤賞を成し遂げた。全てはスイスへ行く為。

 

実は通っていたホテル学校には、就活の制度として一番最初に内定をもらったホテルに就職しなければいけないと言うルールがあった。

 

第一志望のホテルの最終選考前にどこか他のホテルに採用されてしまったら、そこに行かなければならなかったので、皆就職先選びは慎重だった。

 

皆が3月、4月に続々と決まっていく中、スイス研修生の面接は5月〜6月頃だった。私はスイスへ行くためにホテル学校に入ったので、もちろんその他のホテルはどこも受けなかった。

 

有名どころのホテルは既に募集を締め切っていた。もし受からなかったらどうしようか…と内心は不安でいっぱいだった。

 

よく考えてみたら、高校受験の時も私は滑り止め校を確保せず、第一志望一本勝負だった。

 

もう自分を信じるしかなかったし、正直高校一年生の頃からイベントに通い続けている子は私の他にいなかったのでとにかく自分を信じた。

 

ただひたすら英語面接の練習をしたり、スイスについての下調べをしたりして時が来るのを待った。

 

その間に、担任以外の海外研修担当の先生方と仲良くなったり…準備は整っていた。

 

面接当日、幸運の女神が私の味方についた。大嫌いな担任は出産の為欠席。その他の先生方だけで面接を行った。

 

しばらくしてから電話で合格の報告を受けた。めちゃくちゃ嬉しかった。スイス研修生は学年でたったひとりの貴重な枠だった。長年追い続けた目標をきちんと成し遂げたのだ。

 

私の親は、一年後、スイスから帰ってきた私に大手企業に就職してほしいと言った。しかし私には既にやりたいことが決まっていた。船に乗って世界を回ることだった。

 

もっともっと色々な世界が見てみたかったのだ。スイスで一緒に働いていた同僚の一人が10年間船で働いていた経験があり面白い話を沢山してくれた。

 

帰国してすぐにクルーズ会社へ面接へ行くと二週間ほどで合格通知が来た。実は、スイスにいた時からコンタクトをとっていて、帰国するまで面接を待ってもらっていたのだ。

ぶれないマインドの原点

 

・進学校でたったひとりのギャルだったこと

・大学へ行かずにホテル学校を選んだこと

・スイス研修生を目指し続けたこと

・一般企業ではなく船で働いたこと

 

一般的には通らないような少し変わった生き方をしてきたが、私はこのひとつひとつの自分の選択を誇りに思っている。

 

辛かった時期も沢山あったけど、やりたいことの為になら頑張れた。

 

私がぶれなかった理由それは

 

常に自分がやりたいと思ったことを一番に優先してあげたことだ。

 

もちろん周りの目は気にしていたし、不安も沢山あった。

 

でも周りの目を気にすることは無駄な事だと途中で気付いた。

 

結局人間は自分が一番大事であって、周りのことにはそこまで関心をもっていない。

 

強いて言うなら、私の親や高校時代の先生みたいに古い時代の考え方で脳みそがガチガチに凝り固まっている大人は批判が大好きだ。でもそんな人達の言うことを聞かなくたって大丈夫。今の時代はやりたいことをやって楽しく生きている人が輝ける時代だと私は思っている。

 

こんな自由な時代に生まれてこれて私は幸せだ。

 

もしも今の現状に満足出来ていない人がいるならば、ぜひ自分のやりたいことをやって生きていってほしいと心から思っている。

 

最後にもう一度、

 

ぶれないマインドは、自分自身が本当にやりたいことを一番に優先してあげることで自然と身についていく。

 

 

周りの人は自分が思っているほど自分には興味が無い。だから周りの目を気にするだけ無駄な事だ。

さくっと書こうと思ったらわりと長編になってしまいました。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

 

おわり。

 

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